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11.162015
三十三番雪蹊寺(せっけいじ) 歴女に人気の長宗我部元親ゆかりのお寺 #33Sekkeiji

秋時雨の中、松山を7:30 にバスで出て石鎚SA、南国SAで休憩し高知ICを降りて11時頃、三十三番雪蹊寺(せっけいじ)に到着。
駐車場の前にはお遍路宿がございます。
50歩くらいで、境内へ。あーこんなに楽ちんでいいのか。白衣姿の自分がなんか痛々しくも感じてしまう。
土佐と言えば、「言えば、「歴女」から抜群の人気を誇る戦国武将、長宗我部元親。今年4月全国から、銅像を造るのに約1500万円の寄付が集まったそうな・・。
土佐の高知でもわずかな勢力でしかなかった長宗我部氏は四国を統一し、滅亡していった。そんな長宗我部元親の菩提寺であった33雪渓寺(せっけいじ)が最初のお寺。
長宗我部元親は母が斉藤氏なので、織田信長と同盟(元親もうつけ者だったそうな)を結び四国に勢力を拡大したのですが、逆にそれが信長に嫌われて、四国攻めが準備された。(人は嫉妬する生き物だ、いつも安心がないといけないのか、理性の魔物はそこで攻撃してしまう)ただ、名を残す武将は強運を持っているもので、本能寺の変がおこり中止になる。その後、阿波を攻め1583年賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を支援、1584年小牧・長久手の戦いで徳川勢に協力(傍観的)、讃岐を攻め、伊予も平定し1584年47歳で四国全土をほぼ統一。(※田舎四国で4万の兵力を持っていた)しかし秀吉はの軍門に降らず、秀吉は12万の軍を形成し四国進出をおこない、元親は降伏。土佐の領地だけは安堵された・・・等々。関ヶ原の前年に世を去った(1599没)
この雪蹊というお寺の名は、若いときに臨済宗の僧侶に法名としてつけてもらったそうで、それがそのままお寺の名前になったそうな。
このお寺は臨済宗でした。真言宗でないお寺もあるんですね。天台宗、時宗もあるとガイドさんが言ってました。
バスツアーというのは、これはなんの像だろうかと調べようとおもっても、その時間が許されるほど時間がないのが、あまりにも残念。
晩年の運慶の薬師如来像は非公開、四国遍路では本尊を公開しているところは滅多にない、手元の資料によると高知では一つもない・・、人間の勝手か、はたまた登場すると私の過去の悪行も弾劾されるからなのだろうか・・。(汗)見せない、神聖なものに大衆はプレミア感を沸かさずにはいられない。「夢は語らないと実現しない」などと、講演会で言っている人が多いけど、人間の大部分は夢はそんなにかなうもんじゃないと思う、僕も人の前で「本当の夢」は語らないようにしている。秘仏である。(汗)そう夢が秘仏であれば、いつか「やっと、夢の一つがかなった」と、ご開帳してみたいものです。
第33番札所 高福山 雪蹊寺
こうふくざん せっけいじ
宗 派: 臨済宗妙心寺派
本 尊: 薬師如来
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁6年(815)
真 言: おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
住 所: 〒781-0270
高知県高知市長浜857-3
電 話: 088-837-2233
駐車場: 普通10台・マイクロバス5台・大型3台
午前6時〜午後6時・無料
宿 坊: なし
拝 観: 仏像拝観要予約
この記事を書いた人 Author Profile
- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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