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11.262015
飛鳥寺の渡来人の建築技術・空海も唐から技術を持ち帰った?【仏教って何?その2】

[:ja]日本のお札に7回なった存在感抜群の聖徳太子。
その十七条憲法で第二条は「二に曰く、あつく三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。」
これが仏教の礎になり、「諸行無常」、物も人も、人の心も、人と人との関係も、すべては移り変わる。お金も、名誉も滅びる、仏教で国造りをしようと仏教を推進したのです。
そして仏教が伝来した。6世紀末蘇我馬子は渡来技術をとりこみ飛鳥寺を開基しました。
写真は現在の飛鳥寺です
飛鳥寺(あすかでら)は奈良県高市郡明日香村にある寺院である。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。現在の宗派は真言宗豊山派。 wikipedia
この飛鳥寺は伝統的な古墳文化と外来文化のミックスだと考えられていたのですが。実は百済の「王興寺」のコピーである可能性が高まっています。つまり、このお寺は渡来人によって、建てられた・・・と。
近年の発掘により、出土品、その寺の配置(一塔三金堂)から百済の王興寺とたくさんの類似点がみつかりました。
韓国の王興寺では近年仏舎利が発見されました。
近年の韓国の発掘で昌王の名が刻まれた仏舎利が百済の王興寺跡で発掘され、王興寺は昌王によって建立された事が判明(日本書紀には王興寺建立後、9ヶ月後に日本に技術者が送られてきたことが記されている)飛鳥寺は百済からの技術派遣により建てられた可能性がたかまりました。
金銅仏というのは当時の日本ではつくれません。鋳造技法があって、型を作ってそこに銅を流し込まなくてはならないのです、この黄金の大仏がつくられたことで、技術をマスターし、そのおかげで鋳造技法が日本で発達しました。
鈍色(にびいろ)のお寺が、極彩色になった。
礎石の技法により、高層建築が可能に。寺院全体を彩る鮮やかな極彩色に人々は圧倒されます。飛鳥時代は異文明を吸収したことで、様々なレベルが上がります。それは飛鳥の文明開化といえる出来事でした。
当時百済は高句麗、新羅と領土問題で対立、日本と同盟関係を求めていた。
蘇我馬子は百済の服を着ていたという記述です。日本は仏教をかいして百済と手を組み国際社会に出て行くことになります。
BS歴史館 日本のインパクトは勉強になります。それにしても百済の服を着るとは・・・なにか納得できない? 考えてしまいますね。服従の「服」はココが起源なのでしょうか?この飛鳥時代の象徴、飛鳥寺の建築技術が東大寺建立への道へと繋がっていくのです。
お大師様様(空海)も、遣唐使として滞在した長安で「工巧明(くぎょうみょう)」という学問書も書写してます。これは土木の指南書ではないかと言われてます。また空海の祖先の佐伯氏は砂鉄や水銀の採鉱に携り、讃岐に移住してきたという説も有り、母方の阿刀氏は渡来人で鉄に携わり、こういったバックグラウンドから、土木に関してはすでに素地が有り、それを唐で深めたのではないか?満濃池の整備や、寺院建立、井戸、温泉なども確かな技術があったと見受けられます。
また、いま司馬遼太郎先生の「空海」を読んでいるのですが、いかに唐の資金を集めたか、どう使ったかの記述が興味深いです。
かれは長安を去るにあたって、世話になった青竜寺、大興善寺などの僧五百人を招待し、盛大な宴会をひらいているのである。よほどの経費に相違ない。そういう経費よりもさらに大きいのは、長安で密具をつくらせたことであろう。密教は宇宙の内奥と交信する世界であるがために、多種類の法器が必要であった。それらをことごとく長安でつくらせたことは、なまやさしい入費ではなかった。各種の曼陀羅の絵を描かせることも容易な経費ではなく、しかも空海はそれらを並な画工に描かせず、李真などといったような長安第一等の絵師に描かせているのである。ぼう大な経巻や書物を買い入れる経費も、大変であった。おそらくこれがもっとも大きな入費になったであろう
また、四国にたくさんのお寺を建てた理由を想像していますが、的をついていると思います。仏教と渡来技術の密接な関係・・深いです。
讃岐佐伯氏と交通のある四国の諸豪族も、金銀をさし出したにちがいなかった。律令時代の四国の富裕さを考えてみると、その額は小さなものでなかったであろう。さらに空海が真言密教を確立してのち、四国に多数の寺をたてたのは、出発前に寄進してくれた諸豪族に対しそのような形で還元したということも想像できる
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これが仏教の礎になり、「諸行無常」、物も人も、人の心も、人と人との関係も、すべては移り変わる。お金も、名誉も滅びる、仏教で国造りをしようと仏教を推進したのです。
そして仏教が伝来した。6世紀末蘇我馬子は渡来技術をとりこみ飛鳥寺を開基しました。
写真は現在の飛鳥寺です
飛鳥寺(あすかでら)は奈良県高市郡明日香村にある寺院である。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。現在の宗派は真言宗豊山派。 wikipedia
この飛鳥寺は伝統的な古墳文化と外来文化のミックスだと考えられていたのですが。実は百済の「王興寺」のコピーである可能性が高まっています。つまり、このお寺は渡来人によって、建てられた・・・と。
近年の発掘により、出土品、その寺の配置(一塔三金堂)から百済の王興寺とたくさんの類似点がみつかりました。
韓国の王興寺では近年仏舎利が発見されました。
近年の韓国の発掘で昌王の名が刻まれた仏舎利が百済の王興寺跡で発掘され、王興寺は昌王によって建立された事が判明(日本書紀には王興寺建立後、9ヶ月後に日本に技術者が送られてきたことが記されている)飛鳥寺は百済からの技術派遣により建てられた可能性がたかまりました。
金銅仏というのは当時の日本ではつくれません。鋳造技法があって、型を作ってそこに銅を流し込まなくてはならないのです、この黄金の大仏がつくられたことで、技術をマスターし、そのおかげで鋳造技法が日本で発達しました。
鈍色(にびいろ)のお寺が、極彩色になった。
礎石の技法により、高層建築が可能に。寺院全体を彩る鮮やかな極彩色に人々は圧倒されます。飛鳥時代は異文明を吸収したことで、様々なレベルが上がります。それは飛鳥の文明開化といえる出来事でした。
当時百済は高句麗、新羅と領土問題で対立、日本と同盟関係を求めていた。
蘇我馬子は日本は百済の服を着ていたという記述です。日本は仏教をかいして百済と手を組み国際社会に出て行くことになります。
BS歴史館 日本のインパクトは勉強になります。それにしても百済の服を着るとは・・・なにか納得できない? 考えてしまいますね。服従の「服」はココが起源なのでしょうか?この飛鳥時代の象徴、飛鳥寺の建築技術が東大寺建立への道へと繋がっていくのです。
お大師様様(空海)も、遣唐使として滞在した長安で「工巧明(くぎょうみょう)」という学問書も書写してます。これは土木の指南書ではないかと言われてます。また空海の祖先の佐伯氏は砂鉄や水銀の採鉱に携り、讃岐に移住してきたという説も有り、母方の阿刀氏は渡来人で鉄に携わり、こういったバックグラウンドから、土木に関してはすでに素地が有り、それを唐で深めたのではないか?満濃池の整備や、寺院建立、井戸、温泉なども確かな技術があったと見受けられます。
また、いま司馬遼太郎先生の「空海」を読んでいるのですが、いかに唐の資金を集めたか、どう使ったかの記述が興味深いです。
かれは長安を去るにあたって、世話になった青竜寺、大興善寺などの僧五百人を招待し、盛大な宴会をひらいているのである。よほどの経費に相違ない。そういう経費よりもさらに大きいのは、長安で密具をつくらせたことであろう。密教は宇宙の内奥と交信する世界であるがために、多種類の法器が必要であった。それらをことごとく長安でつくらせたことは、なまやさしい入費ではなかった。各種の曼陀羅の絵を描かせることも容易な経費ではなく、しかも空海はそれらを並な画工に描かせず、李真などといったような長安第一等の絵師に描かせているのである。ぼう大な経巻や書物を買い入れる経費も、大変であった。おそらくこれがもっとも大きな入費になったであろう
また、四国にたくさんのお寺を建てた理由を想像していますが、的をついていると思います。仏教と渡来技術の密接な関係・・深いです。
讃岐佐伯氏と交通のある四国の諸豪族も、金銀をさし出したにちがいなかった。律令時代の四国の富裕さを考えてみると、その額は小さなものでなかったであろう。さらに空海が真言密教を確立してのち、四国に多数の寺をたてたのは、出発前に寄進してくれた諸豪族に対しそのような形で還元したということも想像できる
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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