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11.262015
538年「仏教伝来じゃなくて、仏像伝来」高倉健さんが通った善光寺【仏教って何?その1】

[:ja]「そもそも、仏教ってなんだ?」そんな疑問をお遍路を廻りながら考えている。ボクの無駄とも言える加齢とともに、発達する探求理性は、何をさがしているんだろう?
添乗員で世界を廻り、仏陀の生まれた場所にも生き、それでも神髄には迫ろうとせず、世界遺産を観光するように見つめ、大切なものを探す眼は盲目だったのか?
そんなことを二十五番札所 津照寺(しんしょうじ)で見上げる空が、私に問う。
今お遍路をまわると、不思議な気持ちが突如やってきて、その瞬間に、あのインドのいろいろな風景がフラッシュバックしてくる。それはやはり100年プリントだったのか、色濃く瞼に再現され。葉緑素が吹き出したような緑の空気も、デカン高原の農牧の作業牛も、カジュラホの煩悩塊のような彫刻も、手に取るようによみがえっている。
サイババがブームの時があって、プッタパルティでは不思議な事ばかりがおきる。周りを見渡すと、世界中から人が群れ、そのまなざしの中に吸い込まれて溶けそうになった。旅は、心の青空だ。※サイババの話はまたいつかこのBLOGで、書き綴ります。
僕には、大好きな人がいます。高倉健さんです。
その高倉健さんが30年以上も通ったお寺が善光寺。※この記事のアイキャッチ画像です。
あの純朴で穏やかな源流は、このお寺にあったのではないでしょうか?
スーパースターは孤独の皮膚をまとい、理屈では語れないようなやさしさを持っている。
ファンの方と文通し、友達になる。律儀すぎて申し訳ないくらい丁寧に接する。
理屈を越えて、そこにあるのは愛。
30年の年月、善光寺には、大地の力みたいなものが存在してるんでしょうね。
さて、「仏教伝来ごみやさん」と暗記した、538年仏教伝来が今日のテーマです。
日本の神話では八百万の神が存在していた、農民は近くの神社で自然の神を祈り、信仰心は深かったでしょう。そんな世界に突如、いままで見えなかった神が仏像になりやってきた。しかも百済(くだら)の聖明王より、欽明天皇に国対国という、いわゆる公式ルートで仏像、経典とともに。BS歴史館 シリーズ 日本のインパクトでは解説者の言葉が要を得てるいる。
「転校生ですと紹介されたら、宇宙人ぐらいのインパクト」
「仏教伝来じゃなくて、仏像伝来なんですよ・・」
538年に仏教は百済から仏教が伝来、朝鮮半島・百済(くだら)の聖明王より、釈迦の金銅像と経論などが贈られ大混乱に。自然崇拝という世界に、いきなり神が出現したという、しかも黄金の輝きを放っている。(欽明天皇の孫が聖徳太子です)
仏教公伝、百済がら倭国に政府がら政府に公に伝わった。
538年に仏教は百済から仏教が伝来、朝鮮半島・百済(くだら)の聖明王より、贈られたこの釈迦の金銅像は善光寺にあり、絶対秘仏とされて公開されてないそうです。(あの7年に一度ご開帳で有名な儀式は、秘仏である御本尊の御身代わりに「前立本尊」を本堂にお迎えし、お姿を拝むことができる。(538年に贈られた仏像は絶対に公開されない)
お遍路でも、お寺のご本尊は秘仏となっていて、ほとんど公開されてません。神秘的なものは、公開すると弊害もあるのでしょうか?心まで奪われて、とりつかれてしまうようなものが・・・。考えすぎだろうか?そこにあるというので、よろしいのかもしれませんね。
エジプト博物館には、ツタンカーメン王や数々のミイラが展示されていますが、夜一人では絶対入る勇気はありません、それが発掘場所のルクソールの王家の谷に展示してあったら、地下に潜ってその場所ですべてを感じたら、めまいはするでしょうね。インドである宮殿に泊まっているときに、こんなことが・・・。夜中の3時頃電話がかかってきて「添乗員さん今すぐ来てください」「どうしたんですか?」「鏡から兵隊が飛び出しているので、バスタオルをかけてくれませんか?」・・・ガクガク・・・誰が行けるか!そんなもん・・恐ろしい(笑)添乗員はなんでもできませんよ、勘弁して下さい。(笑)
仏像は川に投げられ、火に包まれる
当時の天皇は、神からのお告げを民に伝える司祭のような存在
たしかに、先日韓国の朱蒙(ちゅもん)をDVD借りて見たときも、ヨミウルという巫女が神託を聴くことができ、王は巫女にゆだねる場面がたくさんありました。※韓国の歴史ドラマ、朱蒙(ちゅもん)は面白いですよねDVD41枚あっという間、善徳女王の巫女ミシルは権力に固執して、その力を利用して展開されるドラマはグロい感じがするんですがこれまたDVD23枚食い入るように見ました。(笑)日本語版の韓国歴史DVDはGEOで借りてほとんど見ています。
さて、仏教を巡る大抗争、崇仏論争へ(物部氏 VS 蘇我氏)
半世紀2代に渡る戦いは・・・蘇我氏が勝利
しかし、BS歴史館では、物部氏は百済に官人を派遣して、友好な関係にあったので仏教否定派ではないと伝えます。また物部氏の領地から寺院が発掘されたそうです。物部氏は崇仏派だった。実はこの戦いは渡来人の争奪戦であった。蘇我氏の遺跡からオンドルの跡が見つかったり、鍛冶工具が発掘され鉄器が生産されていた。物部氏からは新羅の使者を接待していたことが確認された。つまり、渡来人の技術争奪戦による勢力拡大がバックグラウンドにあった。
確かに、日本書紀に書いてある諸説はねつ造されたんではないかという箇所も多いといわれ、藤原不比等が編纂したのではといわれてますが、こういった歴史を鵜呑みにするのはいかがなものか?と問うことが歴史の面白さであって、そういうことを伝えるNHKの歴史番組は大好きです。藤原不比等も仏教推進派で皇族派と対立した構造だったので、こういうドラマを描いたかも・・・と勝手に私も想像しているところもあります。
ココまでが番組の前半なのですが、なかなか見応えがありました。
余談ですが、最後に聖徳太子(仏像を贈られた欽明天皇の孫)の話題です、番組とは関係ありません
物部氏 VS 蘇我氏の戦いに 登場したのが聖徳太子のばあちゃんと兄弟の蘇我馬子。
13歳の聖徳太子が四天王寺(先日大阪の天王寺を訪ねました、石川佳純ちゃんは四天王寺高校の卒業生なんですね)を建てると約束したのを契機に蘇我氏が勝利。後に、聖徳太子は推古天皇の摂政になり、遣隋使を派遣し、冠位十二階を定めて、十七条の憲法を制定、こうやって律令国家の基礎が大陸を見本に礎ができて行きます。
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添乗員で世界を廻り、仏陀の生まれた場所にも生き、それでも神髄には迫ろうとせず、世界遺産を観光するように見つめ、大切なものを探す眼は盲目だったのか?
そんなことを二十五番札所 津照寺(しんしょうじ)で見上げる空が、私に問う。
今お遍路をまわると、不思議な気持ちが突如やってきて、その瞬間に、あのインドのいろいろな風景がフラッシュバックしてくる。それはやはり100年プリントだったのか、色濃く瞼に再現され。葉緑素が吹き出したような緑の空気も、デカン高原の農牧の作業牛も、カジュラホの煩悩塊のような彫刻も、手に取るようによみがえっている。
サイババがブームの時があって、プッタパルティでは不思議な事ばかりがおきる。周りを見渡すと、世界中から人が群れ、そのまなざしの中に吸い込まれて溶けそうになった。旅は、心の青空だ。※サイババの話はまたいつかこのBLOGで、書き綴ります。
僕には、大好きな人がいました。高倉健さんです。
その高倉健さんが30年以上も通ったお寺が善光寺。※この記事のアイキャッチ画像です。
あの純朴で穏やかな源流は、このお寺にあったのではないでしょうか?
スーパースターは孤独の皮膚をまとい、理屈では語れないようなやさしさを持っている。
ファンの方と文通し、友達になる。律儀すぎて申し訳ないくらい丁寧に接する。
理屈を越えて、そこにあるのは愛。
30年の年月、善光寺には、大地の力みたいなものが存在してるんでしょうね。
さて、「仏教伝来ごみやさん」と暗記した、538年仏教伝来が今日のテーマです。
日本の神話では八百万の神が存在していた、農民は近くの神社で自然の神を祈り、信仰心は深かったでしょう。そんな世界に突如、いままで見えなかった神が仏像になりやってきた。しかも百済(くだら)の聖明王より、欽明天皇に国対国という、いわゆる公式ルートで仏像、経典とともに。BS歴史館 シリーズ 日本のインパクトでは解説者の言葉が要を得てるいる。
「転校生ですと紹介されたら、宇宙人ぐらいのインパクト」
「仏教伝来じゃなくて、仏像伝来なんですよ・・」
538年に仏教は百済から仏教が伝来、朝鮮半島・百済(くだら)の聖明王より、釈迦の金銅像と経論などが贈られ大混乱に。自然崇拝という世界に、いきなり神が出現したという、しかも黄金の輝きを放っている。(欽明天皇の孫が聖徳太子です)
仏教公伝、百済がら倭国に政府がら政府に公に伝わった。
538年に仏教は百済から仏教が伝来、朝鮮半島・百済(くだら)の聖明王より、贈られたこの釈迦の金銅像は善光寺にあり、絶対秘仏とされて公開されてないそうです。(あの7年に一度ご開帳で有名な儀式は、秘仏である御本尊の御身代わりに「前立本尊」を本堂にお迎えし、お姿を拝むことができる。(538年に贈られた仏像は絶対に公開されない)
お遍路でも、お寺のご本尊は秘仏となっていて、ほとんど公開されてません。神秘的なものは、公開すると弊害もあるのでしょうか?心まで奪われて、とりつかれてしまうようなものが・・・。考えすぎだろうか?そこにあるというので、よろしいのかもしれませんね。
エジプト博物館には、ツタンカーメン王や数々のミイラが展示されていますが、夜一人では絶対入る勇気はありません、それが発掘場所のルクソールの王家の谷に展示してあったら、地下に潜ってその場所ですべてを感じたら、めまいはするでしょうね。インドである宮殿に泊まっているときに、こんなことが・・・。夜中の3時頃電話がかかってきて「添乗員さん今すぐ来てください」「どうしたんですか?」「鏡から兵隊が飛び出しているので、バスタオルをかけてくれませんか?」・・・ガクガク・・・誰が行けるか!そんなもん・・恐ろしい(笑)添乗員はなんでもできませんよ、勘弁して下さい。(笑)
仏像は川に投げられ、火に包まれる
当時の天皇は、神からのお告げを民に伝える司祭のような存在
たしかに、先日韓国の朱蒙(ちゅもん)をDVD借りて見たときも、ヨミウルという巫女が神託を聴くことができ、王は巫女にゆだねる場面がたくさんありました。※韓国の歴史ドラマ、朱蒙(ちゅもん)は面白いですよねDVD41枚あっという間、善徳女王の巫女ミシルは権力に固執して、その力を利用して展開されるドラマはグロい感じがするんですがこれまたDVD23枚食い入るように見ました。(笑)日本語版の韓国歴史DVDはGEOで借りてほとんど見ています。
さて、仏教を巡る大抗争、崇仏論争へ(物部氏 VS 蘇我氏)
半世紀2代に渡る戦いは・・・蘇我氏が勝利
しかし、BS歴史館では、物部氏は百済に官人を派遣して、友好な関係にあったので仏教否定派ではないと伝えます。また物部氏の領地から寺院が発掘されたそうです。物部氏は崇仏派だった。実はこの戦いは渡来人の争奪戦であった。蘇我氏の遺跡からオンドルの跡が見つかったり、鍛冶工具が発掘され鉄器が生産されていた。物部氏からは新羅の使者を接待していたことが確認された。つまり、渡来人の技術争奪戦による勢力拡大がバックグラウンドにあった。
確かに、日本書紀に書いてある諸説はねつ造されたんではないかという箇所も多いといわれ、藤原不比等が編纂したのではといわれてますが、こういった歴史を鵜呑みにするのはいかがなものか?と問うことが歴史の面白さであって、そういうことを伝えるNHKの歴史番組は大好きです。藤原不比等も仏教推進派で皇族派と対立した構造だったので、こういうドラマを描いたかも・・・と勝手に私も想像しているところもあります。
ココまでが番組の前半なのですが、なかなか見応えがありました。
余談ですが、最後に聖徳太子(仏像を贈られた欽明天皇の孫)の話題です、番組とは関係ありません
物部氏 VS 蘇我氏の戦いに 登場したのが聖徳太子のおばあちゃんと姉妹の蘇我馬子。
13歳の聖徳太子が四天王寺(先日大阪の天王寺を訪ねました、石川佳純ちゃんは四天王寺高校の卒業生なんですね)を建てると約束したのを契機に蘇我氏が勝利。後に、聖徳太子は推古天皇の摂政になり、遣隋使を派遣し、冠位十二階を定めて、十七条の憲法を制定、こうやって律令国家の基礎が大陸を見本に礎ができて行きます。
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この記事を書いた人 Author Profile

- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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