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アーカイブ:2016年 2月
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2.242016
三十八番札所 金剛福寺(こんごうふくじ) 足摺岬の大修行場とジョン万次郎の魂宿る場所 #38Kongoufukuji
朝の7時半に松山市駅を出発し、バスは最終目的地の足摺岬の難所三十八番札所金剛福寺に到着したのは15時ちょっと前。金剛福寺は 120,000平方メートルを誇る大道場で、甲子園のグランド面積とほぼ等しい。奇石が芸術のように石庭の池の周りに配置され見事で、古刹なお寺とは違った光を放ったお寺だった。
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2.242016
<昼食>第5回お遍路バスツアー:40観自在寺→39延光寺→38金剛福寺
<昼食>第5回お遍路バスツアー:40観自在寺→39延光寺→38金剛福寺昼食場所は、潮風がなんともいえない場所でした。ちょっとボリュームが少なかったのですが、お魚や新鮮で美味しかったです。冬はやはり、ほうじ茶が温まりますね。かつおの削り節1本姿見を買っている人が多かったです。
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2.242016
三十九番札所 延光寺(えんこうじ) 赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたというお寺、亀の印が人気 #39Enkoji
宿毛市はあの吉田茂首相の故郷、当時宿毛内閣と言われるほど、ここから要人が登場した。なぜ、こんな辺境から突出した人が登場したのかを考えるとき、宿毛にはやはり歴史を動かした土佐の潮流が流れている地盤と、宿毛は宿場町を持ちながら、教育に力をいれたバックボーンがあった、たくましい土地柄といえまいか。
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2.232016
四十番札所 観自在寺(かんじざいじ) 愛媛の愛南町は素敵な場所でした #40Kanjizaishi
愛媛県愛南町の四十番札所 観自在寺(かんじざいじ)へ。愛南町と言えば1989年、第68回全国高校サッカー選手権大会において地元南宇和高校が初優勝。無名のこの地に一人の教師が着任し、地元小学校中学校からサッカーを指導し、サッカーで町おこしした場所。
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2.232016
【お遍路日記】第5回目と伊予路から土佐路(足摺岬)『粗雑な日常の所作をふくめて、平凡と思えることでも、学びはあふれている。』
土曜日5回目のお遍路ツアーバリバリと打ちつける強雨、傘におさまりきらない身体は、雨に沁みていく。「お遍路でおきるすべてのことは、お大師様の手の中にあります」ベテランの女性ガイドさんが、諭すようにマイクで語りかける。
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2.82016
<昼食>第4回お遍路バスツアー:45岩屋寺→44大寶寺→43明石寺→42仏寺寺→41龍光寺
砥部に来て22年が経過した平成2年1月から、毎月砥部の開花亭で「朴庵例会」が始まり、平成16年1月まで166回続きました。
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2.72016
四十一番札所 龍光寺(りゅうこうじ) 「三間のお稲荷さん」神社もあるのです #41 ryukoji
龍光寺の歴史・由来宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。
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2.72016
四十二番札所 仏木寺(ぶつもくじ) 農耕の牛にのって、お大師様様は現れた #43 butsumokuji
仏木寺の歴史・由来牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれる仏木寺には、境内に家畜堂という小さなお堂がある。ミニチュアの牛や馬の草鞋をはじめ、牛馬の陶磁器、扁額などがところ狭しと奉納されている。
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2.72016
四十三番札所 明石寺(めいせきじ) 昔、お遍路さんに掃除、食事作法など厳しい行を課したお寺 #43 meisekiji
宇和町というのは、愛媛の米づくりの穀倉地帯にございます。この街はシーボルトの娘イネがいて、高野長英がいて、二宮敬作がいて医学・蘭学の遺伝子を残し、宇和島藩で軍艦をつくった村田蔵六もいて、明治時代には「開明学校」もあり民度が高い。
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2.72016
四十四番札所 大寶寺(だいほうじ)お遍路の中間札所伊予と土佐を結ぶお寺 #44 daihoji
愛媛の久万高原長町にあるのが大宝寺、「東京ラブストーリー」から25年…現在のリカとカンチを描いた特別読切が話題に!など、ニュースになりましたが、カンチはここの久万中学校出身でありました。(^O^) あの落書きをした柱は、「久万高原ふるさと旅行村」に保存されています。
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