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3.62016
三十六番札所 青龍寺(しょうりゅうじ) 元横綱朝青龍関もこの階段で足腰を鍛えたお寺 #36Syoryuji

青龍寺の近くには、高知の明徳高校が近くにあります。元横綱(朝青龍 明徳)はこのお寺の名前を名字に、明徳高校の明徳を名前にしていますね。あっぱれです。ただ、ガイドさんが、お寺で尋ねたところ朝青龍関からその申し出はなかったのことでした。(^^;)
この坂は確かにトレーニングには最適で坂路調教としては、名坂ですね、しかも御利益がありそうです。
青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。
朱色は高級な色とされてるんですよね。血とか、悪霊封じも意味にあるときいたことがあります。
屋根の角の上への跳ね具合がいいですよね、神社仏閣にはおおいです、これも悪霊払いときいたことがあります。それにしても四重の塔というのは、やはり存在しないのでしょうね・・(;゚ロ゚)地震で三重塔がも倒れたときいたことはないですよね、飛鳥時代に百済から技術が来たんでしょうかね。地震といえば、京都、奈良とか地震がないですよね、だから都に選ばれたんでしょうね。
沈丁花の花の香りが、心を優しい気持ちにしてくれます
第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺
とっこうざん いしゃないん しょうりゅうじ
宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 波切不動明王
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁6年(815)
真 言: のうまくさんまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
住 所: 〒781-1165
高知県土佐市宇佐町竜163
電 話: 088-856-3010
駐車場: 普通20台・無料
近くに約30台収容の有料駐車場がある
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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