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4.232016
二十二番札所 平等寺(びょうどうじ) 約50年ぶりに初会式(はつえしき) #22Byudoji

初会式(はつえしき) から、この糸はつながれているのだろうか、などと考えながら本堂へ
平等寺では1965年ごろを最後に、初会式が行われなくなっていた。谷口真梁(しんりょう)副住職(36)が、大勢の稚児や参拝客であふれかえった昭和初期の初会式の写真を見て感動。かつてのにぎわいを復活させようと計画した。
四国遍路を廻っていると、お寺が門前町つくっていたという縁起がたくさん見かけられますね。参道などには人が集まるわけですから、宿坊や商店が建ち並び栄えていたことでしょうね。
松山市の姉妹都市フライブルグに行ったときに、日曜日教会の前に市が立ち量り売りで新鮮な野菜が売られ、紙芝居があり、ノミの市が形成されていました。街の真ん中に教会があって、家族といっしょに日曜日の朝が始まる、たくさんの友達が集まり、仲間達の会話がはじけていた。午後からは、オーケストラの練習があると行っていた通訳さんの楽しそうな笑顔が忘れられない。商店はお休みで、しっかり休日だ。
何百年も続いているんだなという、たしかな実感のようなモノがボクの中にあります。安息の日曜日、日本では影が薄いですね。旅は、ただならぬシーンにであえるといつもいつも思います。
平等寺の歴史・由来
本堂・厄除け年の石段
弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れました。大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたのです。大師がさっそく加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れました。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたのです。
以後、寺は大規模に栄えましたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至っています。大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ております。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られています。容器が用意されているので持ち帰ることもできます。(容器代200円)
護摩炊の護摩木を500円で販売していたので(T_T) 生涯青春と書いた。親父の座右の銘だ。
第22番札所 白水山 医王院 平等寺
はくすいざん いおういん びょうどうじ
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 薬師如来
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁5年(814)
真 言: おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
住 所: 〒779-1510
徳島県阿南市新野町秋山177
電 話: 0884-36-3522
駐車場: 普通車30台・マイクロバス、大型5台 午前7時〜午後5時・無料
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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