- Home
- お遍路ブログ|blog, 徳島県のお寺|tokushima
- 十七番札所 井戸寺(いどじ) ペットボトルをお忘れなく #17Idoji
ブログ
5.232016
十七番札所 井戸寺(いどじ) ペットボトルをお忘れなく #17Idoji

お大師様にはたくさん井戸伝説がありますよね、韓国の歴史ドラマをみていてもいろいろ登場してきます。井戸が濁ったり、血に染まると、不吉とか・・・裏側では計略なんですけどね。最近は井戸がある家などほとんどありませんね、災害が起きたときに洗濯とか、食器洗ったり、風呂とか、トイレに役に立つんですよね、マンション建てるのなら、井戸もつくるというのはこれから増えてくるのでは。学校とか、病院とか・・・井戸の需要は大きいですよね。(^O^)
と、長い前振りがあり、十七番札所 井戸寺(いどじ)に到着。コンパクトなお寺というか、地域密着のお寺ですね。
井戸寺の歴史・由来
7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が創造された時期で、律令制もようやく芽生えて、阿波の国にも国司がおかれた。この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。ただ、南北朝時代以降の寺史は激変する。まず貞治元年(1362)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。 七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い。
怖い物見たさというのは、人間の心情です。(笑)
お遍路さんで、同行二人で杖をついてあるきますが。「橋の上では金剛杖をついてはなりません」と、先達さん。いまでも、お大師様様が橋の下で眠っているかも知れないといういうことですね。
第17番札所 瑠璃山 真福院 井戸寺
るりざん しんぷくいん いどじ
宗 派: 真言宗善通寺派
本 尊: 七仏薬師如来
開 基: 天武天皇
創 建: 白鳳2年(673)
真 言: おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
住 所: 〒779-3118
徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
電 話: 088-642-1324
駐車場: 普通30台・マイクロバス5台・大型5台
午前7時半〜午後5時・無料
宿 坊: なし
この記事を書いた人 Author Profile

- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
最新記事 Latest entries
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。