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7.22016
一番札所 霊山寺(りょうぜんじ) お遍路1,460kmのスタートがここから始まる #1Ryouzenji

お遍路を始める人にとって、一番札所はどんなお寺なんだろう。
同行二人、約1,460kmの果てしない旅の始まりだ。独りで、孤独の皮膚を纏い、根絶やしできないような煩悩と向かい合う人もいるだろし、思い人のことを、ただ遠い記憶の中に求めるように、時間を駆け上りながら、タイムトラベルをしながら、浮かんでは、沈んでいく悲しみの果てに、思い人と涙する旅路となる人もいるだろう。がんばってくださいね。
もちろん何度目ともなると、この場所にくると気力漲る人も入れは、何年か前にこの地に引き残したスタートラインに、帰ってきたが、体調がすぐれず、不安を抱え込みながらも、この場に立っている人もいるだろう。大丈夫、同行二人ですから。
吉田松陰先生の、留魂録、講孟箚記を1年くらい前に読みながら、なぜ獄のなかでも本を読み、人に教えることができたのか?その1点を知りたかった。人には「順境」の時(うまくいっている時)と「逆境」の時のふるまいが違う人がほとんどだ。「順境」の時なら読書できるけど、「逆境」の時は読書なんてしようと思わない。いちいちが、自分におきる事象に、動揺する。お金があるときはいいが、お金が無いときは心が安らかでなくなる。楠木正成の話などしながら、きっと松陰先生は松下村塾や獄の中で「人として生まれながら、人はどう生きたらいいのか」この一点を、自分を律しながら、孤独に向い合いながら、本を読み教えていたんだろうと思った。順境の時も、逆境の時もやるべきことが人にはあるのだ・・・と。
四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。
このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかたが近年の建物である。別格本山。地の利を生かした寺観の配置は妙で美しく、お遍路さんに彩りを添えている。
第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺
じくわざん いちじょういん りょうぜんじ
宗 派: 高野真言宗
本 尊: 釈迦如来
開 基: 行基菩薩
創 建: 天平年間(729〜749)
真 言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
住 所: 〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
電 話: 088-689-1111
駐車場: 普通100台・バス10〜20台・無料
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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