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7.22016
七番札所 十楽寺(じゅうらくじ) 大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明 #7Jurakuji

ここで目のお守りを買いました。お守りを信じるのも才能です。
最近、めっきり老眼が進行してきて、目って大切ですよね。
大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けた。
とのことですが、光明と言えば思い出すのが、愛媛の郷土の誇りジャパハリネットの光明という歌。
いい歌詞ですよ!
一筋の光明へ向かい 荒野駆け抜ける
進み行く道は 果てしなく遠い
目の前に広がるのは 幾千の蒼の道
まだ見えぬ 光景を浮かべては
どこへ続きどこへ行けば 答えは出るともがく
誰もが思う心の弱さ さまざまな想いに潰されて
それでも僕らは諦めることなく 脆くも崩れることもなく
(↓↓ 続く ↓↓)
寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。
創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが、天正10年(1528)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失した。幸い、本尊は時の住職が背負い難を免れたという。寛永12年(1635)に現在の地に移り、再建された。明治時代になり本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、さらに平成6年には立派な木造の本堂を建立している。本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られ、信仰者のなかには、開眼したという例も数多く伝えられている。四国霊場には、24番最御崎寺、39番延光寺の目洗い井戸、52番太山寺の一畑薬師など、目の不自由なお遍路さんの祈願所が多く、霊験の力をお祈りしたい。
第7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺
こうみょうざん れんげいん じゅうらくじ
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 阿弥陀如来(伝弘法大師作)
開 基: 弘法大師
創 建: 大同年間(806〜810)
真 言: おん あみりた ていせいから うん
住 所: 〒771-1509 徳島県阿波市土成町高尾字法教田58
電 話: 088-695-2150
駐車場: 普通20〜30台・大型5台 午前7時〜午後5時まで・寸志を
宿 坊: あり(100人・個室)
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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