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11.122016
七十七番札所 道隆寺(どうりゅうじ) おん ころころ せんだり まとうぎ そわか #77 Doryuji

讃岐の多度津の街の幹線道路沿いに道隆寺(どうりゅうじ)は位置していました。
当時は付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったそうな。考えられるのは、遣唐使の時代に大陸からの文明が伝播し、律令制度とともに、絹の生産も伝わったということではないだろうか。多度津港が近くにありますが、この地方で活躍した和気氏が開港したとのこと。
讃岐三白(さぬきさんぱく)はご存じですか?
綿・砂糖・塩です。
綿花やサトウキビをは温暖で雨の少ない気候に適した産物。塩は遠浅の海岸と晴天が必要です。水不足で灌漑の池が必要な讃岐の先人達は、活路を開くためこの讃岐三白を奨励してきたんでしょうね。
仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議にも乳母は生き返ったという。
大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。
第77番札所 桑多山 明王院 道隆寺
そうたざん みょうおういん どうりゅうじ
宗 派: 真言宗醍醐派
本 尊: 薬師如来
開 基: 和気道隆
創 建: 和銅5年(712)
真 言: おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
住 所: 〒764-0022
香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
電 話: 0877-32-3577
駐車場: 普通だけの場合 30台
マイクロバスだけの場合 7台
大型だけの場合 4台
午前七時〜午後五時・ 無料
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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