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11.122016
七十三番札所 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時「捨身ヶ嶽」縁起 #73 Shushakaji

空海上人の幼少の呼び名は佐伯真魚(まお)、空海の風景(司馬遼太郎)を呼んでいると、この時代古典的な動物名称を名前にする習慣があったそうな・・・。
弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたとのことです。
奥の院今度は行ってみたいです!
奥の院捨身ヶ嶽禅定 | 出釈迦寺 http://www.shushakaji.jp/worship/okunoin
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。
第73番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺
がばいしざん ぐもんじいん しゅっしゃかじ
宗 派: 真言宗御室派
本 尊: 釈迦如来
開 基: 弘法大師
創 建: 奈良後期〜平安時代前期
真 言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
住 所: 〒765-0061
香川県善通寺市吉原町1091
電 話: 0877-63-0073
駐車場: 普通車約10台・無料
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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