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七十八番札所 郷照寺(ごしょうじ) 踊り念仏、時宗の霊場 #78 Goshoji

四国霊場で唯一「時宗」の霊場。時宗の一遍上人は、我が郷土愛媛の道後で地元の豪族・河野通広の子として生まれた。
浄土教で「南無阿弥陀佛」を唱えた法然上人の系統で「時宗」は生まれた。「捨聖(すてひじり)」と呼ばれ、生活に最低限必要なモノだけをもって全国を旅した。捨ててこそ念仏というスタイル。地国を怖れず、天国を願う心も捨てる、仏も、我も捨てる。

人生は苦しみの連続なのに、そこまで自分を追いつめるなんて僕には到底できそうにない、ただ、逆に言うと「なにも期待しない」という発想がある。見返りを期待すると、人間関係は崩れていく。無償の愛など存在するのか?と考えてみるが、自分の子供に対してはそういう気持ちが存在するのだけは確かだ、どんな事があっても味方でありたいと僕は思っている。自分が苦しいときに、例えば生きるためのお金を無心しても、友達でもなかなかかしてはくれない、ところが何十人にひとりかは親身になって相談に乗ってくれて、血路を開いてくれることがあるだろう、そんな思いやりに会うのが人生の醍醐味だと思う、思いもよらない慈愛というものは、捨ててこそ生まれるのかも知れない。東北大震災でたくさんの人が支援した、日本に、そんな素地をつくったのは宗教なのかもしれない。
当時の宗教は、高野山が女人禁制だったりとか、女性を低く見ていた、その点で一遍上人は結婚しているし、女性を平等に扱い、男女混合の仏教集団は、女性を中心にディスコのような念仏踊りの熱狂であったかも知れないですね。

一遍上人(1239~1289)は、法名智真、俗姓越智氏、延応元年(1239年)、河野通広の第2子として生まれた。その地は現在、時宗宝厳寺となってる。彼は早く母をなくし、そのため剃髪して仏門に入り、浄土宗や禅を学んだ。文永11年(1274年)、時宗を開き、翌年熊野に参籠し霊験を得て、一遍と改名し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた紙札をくばる賦算を始めた。その教えは、踊念仏によって全国的にひろがり、一遍は遊行上人とも捨聖ともいわれ、民衆から尊崇され、一所不在、民衆救済の実践家として、鎌倉仏教史上に重要な地位を占めている。正応2年(1289年)、遊行中に摂津国和田岬観音堂(のちの真光寺)で没した。 松山市 HP

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境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の正面玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(851〜54)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(985〜87)とされている。さらに、仁治4年(1243)には『南海流浪記』の著者である高野山の道範阿闇梨が流罪となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(1239〜89)は、正応元年(1288)に3ヵ月ほど逗留して踊り念仏の道場を開くなど、真言・念仏の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となる。なお、道場寺を「郷照寺」と改めたのは、寛文4年(1664)のことである。

第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺
ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ

宗 派: 時宗
本 尊: 阿弥陀如来
開 基: 行基菩薩
創 建: 神亀2年(725)
真 言: おん あみりた ていせい からうん
住 所: 〒769-0210
香川県綾歌郡宇多津町1435
電 話: 0877-49-0710
駐車場: 普通100台
マイクロバス
(境内には入れない場合)3台
大型2台
午前7時〜午後5時・無料
宿 坊: なし
URL: http://www.yakuyoke.org/index.html

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渡部雅泰
渡部雅泰ライター
こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)

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