- Home
- お遍路ブログ|blog, 香川県のお寺|kagawa
- 七十四番札所 甲山寺 (こうざんじ)弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所 #74 Koyamaji
ブログ
11.122016
七十四番札所 甲山寺 (こうざんじ)弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所 #74 Koyamaji

弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所とのふれこみだったが、どうもその気配が私には感じられない、失礼(汗)。
気配さえ、消されてしまったのだろうか。
嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。この寺の本尊は薬師如来像で、「満濃(まんのう)池」の修築に携わった大師が、工事の無事を祈願して刻んだものとされる。満濃池は寺の約10㎞南にある。
満濃池はまわりが20キロあるらしい、水が流れ込んでくるような気配に充ちている。この池が昔は雨が降ると、下野を苦しめたんでしょうね。
ただですよ、この下流というべき土地は、空海の里の佐伯氏の土地だったそうな。「まずしものには物を与えよ、富める物には法をあたえよ」ということばを引用し、空海の風景で司馬遼太郎先生は私利私欲でやってはいないだろう、と綴っていました。それにしても、司馬ワールドは調査というか、実際にいってみるとか、臨場感が半端ない。(^o^)
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。
第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺
いおうざん たほうざん こうやまじ
宗 派: 真言宗善通寺派
本 尊: 薬師如来(伝弘法大師作)
開 基: 弘法大師
創 建: 平安時代初期
真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所: 〒765-0071
香川県善通寺市弘田町1765-1
電 話: 0877-63-0074
駐車場: 普通車70台、大型車15台
マイクロバス20台
無料
午前7時〜午後5時
宿 坊: なし
この記事を書いた人 Author Profile

- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
最新記事 Latest entries
七十五番札所 善通寺 (ぜんつうじ) 恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺 #75 Zentsuji
七十三番札所 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時「捨身ヶ嶽」縁起 #73 Shushakaji
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。