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11.132016
六十三番札所 吉祥寺(きちじょうじ)本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけ #63 Kichijoji

ご本尊が毘沙聞天なのは、ここ吉祥寺だけらしい。「吉祥寺」といえば、井の頭線の若者に一番人気な街を思い出しますよね、祐天寺とか豪徳寺とか地名に寺が付く駅はおおいですよね。まあ、ネットで検索したら何か出てきそうだけどやめときます(笑)。
毘沙門天と言えば、闘いの神、そして上杉謙信を連想します。旗印は「毘」ですからね。謙信は禅や仏門の修行を子供の頃からしていて、僧侶になる予定だったとか、大河ドラマでひとり高野山にいってしまう下りがあったと記憶しています。心の磁石が仏教にあったんでしょうね。謙信の凄いのは、領土を広げなかったことで、欲という煩悩を毘沙門天の教えが消していたのかもしれませんね、勝っておごらずなんでしょうね。嫁さんももたずに、その心の中は仏門の世界だったのでしょうか?敵軍の武田に領民が苦しむから塩を送り、「敵に塩をおくる」の言葉は今でも義の象徴として残っています。
小さなお寺でしたが、心が落ち着きました。合掌。
東西に走る国道11号線と、JR予讃線に挟まれて所在する。かつては塔頭21坊の伽藍を誇った大寺域は、やはり近代化された道路と鉄道によって狭められた。四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけで、その縁起をたどる。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされ、その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。だが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失されている。その後、江戸時代の万治2年(1659)、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられる。寺宝に「マリア観音像」(非公開)がある。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像だが、伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れている。寺にはほかに鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されている。
第63番札所 密教山 胎蔵院 吉祥寺
みっきょうざん たいぞういん きちじょうじ
宗 派: 真言宗東寺派
本 尊: 毘沙聞天
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁年間(810〜824)
真 言: おん べいしらまんだや そわか
住 所: 〒793-0072
愛媛県西条市氷見乙1048
電 話: 0897-57-8863
駐車場: 境内内駐車場・無料
民営駐車場 普通5台(300円)
大型5台(1,000円)・午前7時〜午後5時
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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