- Home
- お遍路ブログ|blog, 愛媛県のお寺|ehime
- 六十二番札所 宝寿寺(ほうじゅじ)伊予三島水軍の菩提寺 #62 Hojuji
ブログ
11.132016
六十二番札所 宝寿寺(ほうじゅじ)伊予三島水軍の菩提寺 #62 Hojuji

14回目のお遍路バスツアーの62番札宝寿寺(16回で結願です)
66雲辺寺(ロープウェイ)・65三角寺(タクシー)・664前神寺・63吉祥寺・62宝寿寺・61香園寺
人間はちっぽけな存在で、ちっぽけだけど感情を山のように荒くもっている。誰かを愛し、誰かに裏切られ、理性は自分をあらぬ方向までおいやってしまうこともある。嫁姑も、始まりは些細なことで、ちょっと許せば、ちょっと忘れれば相手とうまくいくものを、人はちっぽけなモノに秒に執拗な気持ちが泉のように湧いて止らない。
お遍路にはちっぽけなお寺がたくさんあった。ちょっと「つまらないな」という感情でみてしまう自分がそこにいた、自分がちっぽけな存在のくせにね。ちっぽけなものは、つつしみがあって、人の悪口も言えないような気がする、好きな人にも好きと言えないような性格で、それを謙虚で気持ち悪すぎという奴もいる。でも、謙虚な人は観察眼がしっかりしているはずだ、何もかもわかっている・・・僕はそんな人が好きだ、
JR伊予小松駅から西へ歩いて1分、100m近い。境内は、しっとりとした日本庭園の風情が満ちており、遍路の気分を和ませてくれる。往時は伊予三島水軍の菩提寺として、また、大山祇神社の別当寺として栄えていたのが宝寿寺の沿革である。
縁起によると、天平のころ聖武天皇(在位724〜49)は諸国に一の宮を造営した。その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師(?〜744四)が勅命をうけて法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。このとき天皇は『金光明最勝王経』を奉納され、寺名は「金剛宝寺」と称して、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。
弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806〜10)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。
以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅し、さらに明治維新の廃仏毀釈令に遭い、明治10年に再建されている。
第62番札所 天養山 観音院 宝寿寺
てんようざん かんのんいん ほうじゅじ
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 十一面観世音菩薩
開 基: 聖武天皇
創 建: 天平年間(729〜749)
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 〒799-1101
愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
電 話: 0898-72-2210
駐車場: 大型2台
宿 坊: なし
この記事を書いた人 Author Profile

- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
最新記事 Latest entries
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。