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11.192016
五十七番札所 栄福寺(せんゆうじ)作礼山の山頂近い標高300mの高台 #57 Eifukuji

映画 ボクは坊さんの栄福寺
かつて弘法大師空海が開いたとされ、今は“お遍路さん”として巡礼する人も多い四国八十八ヶ所霊場。その第57番札所、愛媛県今治市の栄福寺で生まれ育ったボ僕ボク、白方進(伊藤淳史)。
仏の教えの聖地・高野山の山上都市にある高野山大学で修業をおさめ、お坊さんとしての資格といえる“阿闍梨(あじゃり)”の位を得て、実家の寺に帰って来た。が、今はすっかり髪も伸び、地元の本屋で書店員として働いている。進のことをずっと“和尚”と呼び続けている幼馴染の京子(山本美月)と真治(溝端淳平)は、進がお坊さんになることを期待しているようだが、進にはまだその決心がつかない。一方母・真智子(松田美由紀)、父・一郎(有薗芳記)、祖母・宣子(松金よね子)は進の思いを尊重してくれている様子だ。高野山大学時代の友人はというと、孝典(渡辺大知)は実家の寺に入ったが、広太(濱田岳)は進と同じく、お坊さんにならず一般企業に就職していて、境遇が同じもの同士、電話で語り合ったりすることもある。映画 ボクは坊さん
瀬戸内海沿岸のこの近海では、海難事故が絶えなかった。栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全、福寿増長の祈願寺として往古から信仰されている。
縁起によると、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間であった。内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法された。その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂った。この阿弥陀如来の尊像を府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。栄福寺には、神仏混合の歴史もあり、その由来も平安時代に遡る。貞観元年(859)、大和・大安寺の行教上人が宇佐八幡(大分)の霊告をうけて、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、近海を航行中に暴風雨に遭い、この地に漂着した。ところが府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあることから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれ、「四国五十七番」と仲良く寺社名を刻んだ石塔の道標が立っている。
明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹になる現在地に移転し、また神社と寺はそれぞれ独立した。現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築した由緒がある。
第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺
ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 阿弥陀如来
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁年間(810〜824)
真 言: おん あみりた ていせいから うん
住 所: 〒794-0114 愛媛県今治市玉川町八幡甲200
電 話: 0898-55-2432
駐車場: 境内内に普通車5〜6台、境内下に2ヶ所の民営有料駐車場
普通10台・大型車不可
宿 坊: なし
URL: http://www.eifukuji.jp/
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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