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11.192016
五十四番札所 延命寺(えんめいじ)今治の市街地から西北へ6kmほどのところに #54 Enmeiji

四国を一度は統一したのは、長宗我部元親。四国の中で一番抵抗したのが、毛利から援軍を得ていた伊予国の河野氏でありましたが陥落、延命寺も戦火に巻き込まれたんでしょうね。それでも何度も立ち上がって、お寺が再建されるというのは、人の人生の中で暗闇の中で宗教というのは、一定の灯火なのでしょうね。
日本には約77,000ものお寺があります。※コンビニエンスストアの全国店舗数(約47,000)
現在お寺では亡くなった人の葬儀、四十九日の法要、百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌……三十三回忌と法要は続きます。江戸時代では、お寺で檀家となると、戸籍にあたる宗門人別改帳に記載され、仏教信者として身分を認められたんですよね。更にさかのぼれば、秀吉の時代ではお寺を建てる時には、敵の守りに備えて、意図的に寺院を建立し防御の拠点とした。お寺に松の木が多いのは、松の実が食料になったともいわれてます。銀杏の木は燃えにくく、防火樹として知られてます。また弘法大師の杖を地にさして、それが銀杏になったとか、ご神木としても銀杏が多いですよね・・・詳しいことは知りません・・ここまで。多分竹林が多いのも、武器になったのかもデスね。
今治の市街地から西北へ6kmほどのところに、延命寺の山号にもなっている近見山という標高244mの山がある。この山頂一帯に七堂伽藍の甍を連ねて、谷々には100坊を数えていたのが延命寺であったと伝えられる。
縁起によると、養老四年に聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、伽藍を建立して開創した。弘仁年間(810〜24)になって、弘法大師が嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興、「不動院・圓明寺」と名づけ、勅願所とした。この「圓明寺」の寺名は、明治維新まで続いたが、同じ寺名の五十三番・圓明寺(松山市)との間違いが多く、江戸時代から俗称としてきた「延命寺」に改めている。その後、再三火災に遭い堂宇を焼失しているが、再興をくり返し、享保12年(1727)に難を免れた本尊とともに現在地の近見山麓へ移転した。この間、鎌倉時代の文永5年(1268)、華厳宗の学僧・凝然(1240〜1321)が寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書といわれる『八宗綱要』を著述した。「八宗」とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳の各宗と新しく興った浄土宗で、上下2巻に記されている。
寺にはまた、四国で2番目に古い真念の道標が残されており、境内に馬酔木の木があって、春の彼岸ごろから1ヵ月ほど可憐な白い花をつけている。
第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺
ちかみざん ほうしょういん えんめいじ
宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 不動明王(伝行基菩薩作)
開 基: 行基菩薩
創 建: 養老4年(720)
真 言: のうまく さんまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うん たらた かんまん
住 所: 〒794-0081 愛媛県今治市阿方甲636
電 話: 0898-22-5696
駐車場: 普通車30台 マイクロバス・大型合わせて6台 普通100円・大型500円 午前7時〜午後5時
料金は納経所で協力いただいている
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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