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12.102016
五十三番札所 円明寺(えんみょうじ)地元の風景に溶け込んだお寺 #53 Enmyoji

松山市の北部、堀江の海岸も近く、海を感じながら生活してきた人たちはこのお寺をどう感じていたのでしょうか?円明寺というから、月明かりが綺麗だったでしょうね。今は街の生活感にじむ場所にある小さなお寺ですが、昔は七堂伽藍(塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂)を備えたお寺だったそうです。大山寺は鎌倉時代の本堂が現存していますが、円明寺は幾度かの兵火によって寺は荒廃していった場所です。大山寺は山だったから、守りが強かったんでしょうね。「キリシタン灯ろう」などがあるということは異文化も慣用的に受けとめる文化があったのでしょうね。
余談ですが、車遍路で来られた方でゴルフ好きの方は、松山英樹さんのお父さんが経営するHIDEKIゴルフガーデンがあるので、一発ぶちかまして(笑)気分転換をお願いします。松山英樹選手は幼少の頃から、この場所で練習してそうです。奥のネットまで120ヤードくらい何ですよね・・・ゴルフ練習場はコンパクトな方が良いのかな??などと思いをはせます(笑)
圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。
奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。
縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。
第53番札所 須賀山 正智院 円明寺
すがざん しょうちいん えんみょうじ
宗 派: 真言宗智山派
本 尊: 阿弥陀如来(伝行基菩薩作)
開 基: 行基菩薩
創 建: 天平勝宝元年(749)
真 言: おん あみりた ていせい からうん
住 所: 〒799-2656 愛媛県松山市和気町1-182
電 話: 089-978-1129
駐車場: 普通10台・大型3台 午前7時〜午後5時・無料
宿 坊: なし
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- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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