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12.102016
五十番札所 繁多寺(はんたじ)松山の住宅地の高台で静けさは鎮座している #50 Hantaji

松山市の住宅街の高台にある、繁多寺。静かなんです、静けさが鎮座するようにね。近所の人がうらやましい、散歩に毎日通うなど「行」を行うと、心が平穏になるような「形」をくれるお寺のように思えました。
49番浄土寺、50番繁多寺は、孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩が建立したと伝えられてますね。
ちょっと個人的に利用している、相関図のメモなのですが。孝謙天皇とは聖武天皇の娘で女性天皇なのです、重祚と行って2回天皇になっていますよ、称徳天皇の時に僧・道鏡を寵愛し、道鏡が皇位に就くかどうかという宇佐八幡宮神託事件は大分の方はよくご存じでしょうね。母は、藤原氏が姻戚関係を保つために聖武天皇の妻とした光明子。
お大師様、 空海(774~835) が活躍するのは、桓武天皇の息子、嵯峨天皇の時代です。
寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩がおよそ90cmの薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、「光明寺」と号された。弘仁年間(810〜24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された際に「東山・繁多寺」と改め、霊場とされた。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274〜87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。上人は晩年の正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納されている。また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっている。こうした縁から寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っている。
さらに江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。
第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺
ひがしやま るりこういん はんたじ
宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 薬師如来
開 基: 行基菩薩
創 建: 天平勝宝年間(749〜757)
真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所: 〒790-0912 愛媛県松山市畑寺町32
電 話: 089-975-0910
駐車場: 普通5台・マイクロバス1台・大型1台 終日・無料
宿 坊: なし
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- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
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