- Home
- お遍路ブログ|blog, 愛媛県のお寺|ehime
- 四十九番札所 浄土寺(じょうどじ)浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺 #49 Jodoji
ブログ
12.102016
四十九番札所 浄土寺(じょうどじ)浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺 #49 Jodoji

浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
空也上人の像(六波羅密寺)
幻術というか、念仏、踊り、歌、炎のイリュージョンなど伝説のエンターテナー的人気があります。もちろん謎めいた人です。修行をしながら、水脈を探し、道路を作ったということで、行基菩薩とかさなりますね、やっぱり民に実益となるような事業をした僧侶は名前が残るのが、日本の歴史のようです。それにしても、個性的な匂いがぷんぷんしますね。
天徳年間(957~961年)に踊り念仏の開祖、浄土教の祖とも称される空也上人が諸国遍歴の途中訪れ3年間滞在しました。
すごく面白い本らしいです現代版の物語だそうですが、僕も早速読んで、あとから加筆します。漫画にもなっているとか。
阿吽の呼吸です。口をご覧ください。どうですか、両サイドからにらみつけるこの仁王像!迫力満点です。
境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。
第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺
さいりんざん さんぞういん じょうどじ
宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 釈迦如来(伝行基菩薩作)
開 基: 恵明上人
創 建: 天平勝宝年間(749〜757)
真 言: のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
住 所: 〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
電 話: 089-975-1730
駐車場: 普通20台(100円)・ワゴン(200円) マイクロ(500円)と大型(1,000円)4台、※寺行事の場合は全車種無料
宿 坊: なし
この記事を書いた人 Author Profile

- ライター
- こんにちは、四国愛媛在住でITの会社を生業としています。元旅行マンなので世界遺産に登録候補になっている四国八十八カ所を廻ることとしました。いつか時間ができたら歩き遍路も挑戦予定ですが、今回はバスツアーで廻ります。笑顔をお届けできたらうれしいです。(^o^)
最新記事 Latest entries
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。