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お遍路ブログ|blog
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11.122016
七十六番札所 金倉寺(こんぞうじ) 本堂の立ち姿に、思わず背筋がのびる #76 Konzoji
四国遍路をまわっていると、昔の伽藍を想像して、叙情的な景色が広がって来るときがある。金倉寺(こんぞうじ) は唐の青龍寺にならって伽藍が道営されたとのことで、夢見心地でじっくりと境内をまわると高級ホテルに入ったような感じで、思わず背がのびるような感じで、言葉までちょいと洒落たモノになりそうだ。
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11.122016
七十七番札所 道隆寺(どうりゅうじ) おん ころころ せんだり まとうぎ そわか #77 Doryuji
讃岐の多度津の街の幹線道路沿いに道隆寺(どうりゅうじ)は位置していました。当時は付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったそうな。考えられるのは、遣唐使の時代に大陸からの文明が伝播し、律令制度とともに、絹の生産も伝わったということではないだろうか。
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11.122016
七十八番札所 郷照寺(ごしょうじ) 踊り念仏、時宗の霊場 #78 Goshoji
四国霊場で唯一「時宗」の霊場。時宗の一遍上人は、我が郷土愛媛の道後で地元の豪族・河野通広の子として生まれた。浄土教で「南無阿弥陀佛」を唱えた法然上人の系統で「時宗」は生まれた。「捨聖(すてひじり)」と呼ばれ、生活に最低限必要なモノだけをもって全国を旅した。捨ててこそ念仏というスタイル。
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11.122016
七十九番札所 天皇寺(てんのうじ) 讃岐に地に崇徳上皇の夢の跡 #79 Tennoji
1156年後白河天皇と崇徳天皇との保元の乱で、敗れたのち讃岐の地へと送られ、崩御された後、この天皇寺に安置されていたとのこと。
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11.122016
八十番札所 国分寺(こくぶんじ)讃岐の鎮護国家がここからはじまったのか? #80 Kokubunji
本堂の正面の姿は、歴史の時の流れの中で威風堂々とした光を放ってきたエナジーが感じられる。讃岐の国分寺は他県と違って、なんとスケールのでかいことか。大化の改新のあと、口分田が与えられたけれども、お寺や神社には多くの土地が与えられました。特に富は貴族に与えられ彼らは堕落していく生活を行う。
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11.122016
八十一番札所 白峯寺(しろみねじ) スカイラインを上り静けさは心を平穏にしてくれる #81 Shiromineji
四季折々の顔を放ちそうな空気感の底が知れない。山自体が霊気にあふれ、そこにお寺が建てられたと云った方がいいかもしれない。眼下には心を安穏に保ってくれる瀬戸内海が見渡せる。この地には崇徳天皇の廟所がある。
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11.122016
八十二番札所 根香寺(ねごろじ) 山の静けさと霊気に充ちたお寺に一人 #82Negoroji
一人で行くと、この静けさに足がすくんでしまいそうな場所が、根来寺だ。マイナスな空気が漂っている。
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11.122016
八十三番札所 一宮寺( いちのみやじ) 創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後 #83 Ichinomiyaji
創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史目を閉じると、田園地帯の中にこのお寺はあって、なにか子供が住職さんの法話をききながら、すくすくと育っていったような長閑さを感じてしまう。一宮寺も土佐守の長宗我部の侵攻により兵火にかかり消失したとも伝えられ、再建されたお寺だ。
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7.22016
一番札所 霊山寺(りょうぜんじ) お遍路1,460kmのスタートがここから始まる #1Ryouzenji
お遍路を始める人にとって、一番札所はどんなお寺なんだろう。同行二人、約1,460kmの果てしない旅の始まりだ。
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7.22016
ニ番札所 極楽寺(ごくらくじ) 42歳の弘法大師がこの地で三七日間『阿弥陀経』を読誦し、修法 #2Gokurakuji
お遍路というのは、損得を考えると最初の一歩がでないのではないだろうか。人間というのは、損や得を考えるのが元来好きで、切っても切っても心は雑草が伸びてきている気がする。決して根絶やしできない。先日、残業して疲れて帰ったときに、玄関を開けるとすべての履き物がきちんとそろっていた。
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