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12.102016
四十九番札所 浄土寺(じょうどじ)浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺 #49 Jodoji
浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。
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12.102016
五十番札所 繁多寺(はんたじ)松山の住宅地の高台で静けさは鎮座している #50 Hantaji
松山市の住宅街の高台にある、繁多寺。静かなんです、静けさが鎮座するようにね。近所の人がうらやましい、散歩に毎日通うなど「行」を行うと、心が平穏になるような「形」をくれるお寺のように思えました。
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12.102016
五十一番札所 石手寺(いしてじ)お遍路逆打ち、衛門三郎と石手寺 #51 Ishiteji
昔の黄色の石手寺のスケールはどでかいもんです。七堂伽藍六十六坊とは、どんだけ修行僧がいたんだろう。ブラタモリでやっていました。※「七堂」は塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂なにせ、道後温泉がありますからね、僧にも人気だったのでは(^o^)、石手寺はミシュラン★一つ星の高評価。
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12.102016
五十二番札所 大山寺(たいさんじ)昔、九州からのお遍路さんの1番札所 #52 Taisanji
地元、愛媛新聞の記事で読んだのですが、九州から来るお遍路さんはこの大山寺を旅の1番札所と起点を定めて訪れたそうです。
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12.102016
五十三番札所 円明寺(えんみょうじ)地元の風景に溶け込んだお寺 #53 Enmyoji
松山市の北部、堀江の海岸も近く、海を感じながら生活してきた人たちはこのお寺をどう感じていたのでしょうか?円明寺というから、月明かりが綺麗だったでしょうね。今は街の生活感にじむ場所にある小さなお寺ですが、昔は七堂伽藍(塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂)を備えたお寺だったそうです。
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11.192016
五十四番札所 延命寺(えんめいじ)今治の市街地から西北へ6kmほどのところに #54 Enmeiji
四国を一度は統一したのは、長宗我部元親。四国の中で一番抵抗したのが、毛利から援軍を得ていた伊予国の河野氏でありましたが陥落、延命寺も戦火に巻き込まれたんでしょうね。それでも何度も立ち上がって、お寺が再建されるというのは、人の人生の中で暗闇の中で宗教というのは、一定の灯火なのでしょうね。
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11.192016
五十五番札所 南光坊(なんこうぼう)四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけ #55 Nankobo
お遍路バスが境内に駐車場があり便利すぎることが恐縮です。本堂(東向き)と大師堂(西向き)がお互いを見つめ合うような位置にございます。このような配置はお遍路では他にはなかったような気がします。縁起によると、「航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する」とあります。
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11.192016
五十六番札所 泰山寺(たいさんじ)水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説 #56 Taisanji
縁起によると、弘法大師が蒼社川が毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたため治水祈願し水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っているとのこと。
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11.192016
五十七番札所 栄福寺(せんゆうじ)作礼山の山頂近い標高300mの高台 #57 Eifukuji
映画 ボクは坊さんの栄福寺かつて弘法大師空海が開いたとされ、今は“お遍路さん”として巡礼する人も多い四国八十八ヶ所霊場。その第57番札所、愛媛県今治市の栄福寺で生まれ育ったボ僕ボク、白方進(伊藤淳史)。
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11.192016
五十八番札所 仙遊寺(せんゆうじ)作礼山の山頂近い標高300mの高台 #58 Senyuji
今治の高台にあって、眺望がしまなみ海道までみれて、すがすがしい気分がこみ上げてきた。縁起によると天智天皇(626〜在位661〜672)の勅願により創建されたといわれています。
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