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11.122016
六十九番札所 観音寺 (かんのんじ)観音寺市の人々から「おかんのんさん」と呼ばれ親しまれているお寺 #69 Kannonji
財田川を渡ると、まもなく観音寺へ到着。海沿いの小高い丘にあるべくして存在するお寺です。観音寺市は愛媛、徳島と県境を同じくして、いわゆる交通の要であって、古墳なども多いので古くから人の営みが盛んだったのでしょうね。銭形砂絵があるように、商売も盛んな場所ですよね。
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11.122016
七十番札所 本山寺 (もとやまじ)四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔 #70 Motoyamaji
お遍路ではじめて見つけた六文銭、真田丸を欠かさず見ているので、購入、たしか1000円。このお寺は、境内が広くて風格がございます。五重塔が残念ながら、工事中でした。五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものを指す。
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11.122016
七十一番札所 弥谷寺 (いやだにじ) 人生のような階段がつづくお寺 #71 Iyadaniji
階段に次ぐ、階段で膝がぐらぐらになりながら本堂へ。静けさがしみいるような、四国遍路のお寺に来たぞ!と思わせる空間が弥谷山です。お寺がない前は、この山自体がご神体ではなかったであろうかというくらいの、背筋がゾクッとするほどの冷気がございます。
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11.122016
七十ニ番札所 曼荼羅寺 (まんだらじ) 創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)#72 Mandaraji
創建は四国霊場で最も古い推古四年(596) 推古天皇時代。かなりの伝統!なぜ讃岐に??推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した官寺が四天王寺ですからね・・それから3年後・・そういう意味では古刹ですね。この時代蘇我氏 VS 物部氏の仏教を受け容れるか争っていた時代。
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11.122016
七十三番札所 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時「捨身ヶ嶽」縁起 #73 Shushakaji
空海上人の幼少の呼び名は佐伯真魚(まお)、空海の風景(司馬遼太郎)を呼んでいると、この時代古典的な動物名称を名前にする習慣があったそうな・・・。弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。
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11.122016
七十四番札所 甲山寺 (こうざんじ)弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所 #74 Koyamaji
弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所とのふれこみだったが、どうもその気配が私には感じられない、失礼(汗)。気配さえ、消されてしまったのだろうか。嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。
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11.122016
七十五番札所 善通寺 (ぜんつうじ) 恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺 #75 Zentsuji
唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺お大師様の生誕の地は、善通寺の境内。善通寺には五岳山という山号があって、この善通寺は当時は海がこの近くまで来ていたという。
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11.122016
七十六番札所 金倉寺(こんぞうじ) 本堂の立ち姿に、思わず背筋がのびる #76 Konzoji
四国遍路をまわっていると、昔の伽藍を想像して、叙情的な景色が広がって来るときがある。金倉寺(こんぞうじ) は唐の青龍寺にならって伽藍が道営されたとのことで、夢見心地でじっくりと境内をまわると高級ホテルに入ったような感じで、思わず背がのびるような感じで、言葉までちょいと洒落たモノになりそうだ。
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11.122016
七十七番札所 道隆寺(どうりゅうじ) おん ころころ せんだり まとうぎ そわか #77 Doryuji
讃岐の多度津の街の幹線道路沿いに道隆寺(どうりゅうじ)は位置していました。当時は付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったそうな。考えられるのは、遣唐使の時代に大陸からの文明が伝播し、律令制度とともに、絹の生産も伝わったということではないだろうか。
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11.122016
七十八番札所 郷照寺(ごしょうじ) 踊り念仏、時宗の霊場 #78 Goshoji
四国霊場で唯一「時宗」の霊場。時宗の一遍上人は、我が郷土愛媛の道後で地元の豪族・河野通広の子として生まれた。浄土教で「南無阿弥陀佛」を唱えた法然上人の系統で「時宗」は生まれた。「捨聖(すてひじり)」と呼ばれ、生活に最低限必要なモノだけをもって全国を旅した。捨ててこそ念仏というスタイル。
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