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2.232016
四十番札所 観自在寺(かんじざいじ) 愛媛の愛南町は素敵な場所でした #40Kanjizaishi
愛媛県愛南町の四十番札所 観自在寺(かんじざいじ)へ。愛南町と言えば1989年、第68回全国高校サッカー選手権大会において地元南宇和高校が初優勝。無名のこの地に一人の教師が着任し、地元小学校中学校からサッカーを指導し、サッカーで町おこしした場所。
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2.232016
【お遍路日記】第5回目と伊予路から土佐路(足摺岬)『粗雑な日常の所作をふくめて、平凡と思えることでも、学びはあふれている。』
土曜日5回目のお遍路ツアーバリバリと打ちつける強雨、傘におさまりきらない身体は、雨に沁みていく。「お遍路でおきるすべてのことは、お大師様の手の中にあります」ベテランの女性ガイドさんが、諭すようにマイクで語りかける。
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2.82016
<昼食>第4回お遍路バスツアー:45岩屋寺→44大寶寺→43明石寺→42仏寺寺→41龍光寺
砥部に来て22年が経過した平成2年1月から、毎月砥部の開花亭で「朴庵例会」が始まり、平成16年1月まで166回続きました。
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2.72016
四十一番札所 龍光寺(りゅうこうじ) 「三間のお稲荷さん」神社もあるのです #41 ryukoji
龍光寺の歴史・由来宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。
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2.72016
四十二番札所 仏木寺(ぶつもくじ) 農耕の牛にのって、お大師様様は現れた #43 butsumokuji
仏木寺の歴史・由来牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれる仏木寺には、境内に家畜堂という小さなお堂がある。ミニチュアの牛や馬の草鞋をはじめ、牛馬の陶磁器、扁額などがところ狭しと奉納されている。
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2.72016
四十三番札所 明石寺(めいせきじ) 昔、お遍路さんに掃除、食事作法など厳しい行を課したお寺 #43 meisekiji
宇和町というのは、愛媛の米づくりの穀倉地帯にございます。この街はシーボルトの娘イネがいて、高野長英がいて、二宮敬作がいて医学・蘭学の遺伝子を残し、宇和島藩で軍艦をつくった村田蔵六もいて、明治時代には「開明学校」もあり民度が高い。
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2.72016
四十四番札所 大寶寺(だいほうじ)お遍路の中間札所伊予と土佐を結ぶお寺 #44 daihoji
愛媛の久万高原長町にあるのが大宝寺、「東京ラブストーリー」から25年…現在のリカとカンチを描いた特別読切が話題に!など、ニュースになりましたが、カンチはここの久万中学校出身でありました。(^O^) あの落書きをした柱は、「久万高原ふるさと旅行村」に保存されています。
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2.22016
四十五番札所 岩屋寺(いわやじ)山岳修行のお寺、上り坂きつい(^^;) #45 iwayaji
四十五番札所 岩屋寺(いわやじ)なんと厳しい、お遍路泣かせの難所!しかも雪が残るこの時期に、ツアー会社もなんでここから2016年の逆打ちのツアーを始めるのか?、と、少々の憤りまでも感じながら、バスで岩屋寺に向かいます。※申年、閏年の逆打ちお遍路は御利益が三倍らしい。
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2.22016
【お遍路日記】第4回目と伊予路『申年、閏年の逆打ちは御利益が三倍あると先達さん』
土曜日に久しぶりに第4回目のお遍路ツアーに参加(4回目/全16回)本来は先週の大寒波の日がツアー出発日でしたが、一週間延びての久しぶりのお遍路となりました。本年度は申年の閏年。四国八十八箇所では、順序を逆に廻る、「逆打ちまわりのお遍路」がブームとなっています。
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12.252015
「空海の風景」 司馬遼太郎 読者がWHY?を連発する符号を埋め込んでいるようだ
上下2巻の長編でした。司馬遼太郎先生は、過去の文や本を探し、それを糸口にして、歴史の糸を紡いでゆく。紡ぐというよりも、その空間の遊泳術に魅せられるのです。歴史の事実さえ、鵜呑みにせず、時に話をその風景を鮮やかに蘇らせてゆく、その力づよさに、読み手は探究心をくすぐられてしまう。
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